今回津波のあった東北の三陸地方には「てんでんこ」という言葉があるそうだ。
いざ、という場合は、てんでんばらばらに行動しろ、という教えだ。
自分以外のことを考えるな。自分だけのことをを考えてさっさと逃げろ。自分の判断で行動しろ。
他人の意見など聞いている時間はないし、他人の意見自体が間違っているかもしれないのだ。
皆と同じ行動するのが正しい選択かどうかもわからない。他人を頼りすぎるな。
自分の判断で行動しろ。時には最愛の家族も捨てる覚悟が必要なのだ。
いつも便利な文明の中で、
それを当たり前だとしてきた私たちにとっては「てんでんこ」とはなんと凄まじい言葉だろう。
人間は高度な社会性をもった生物であるが所詮動物の一種である。究極的には自分の身は自分で守るしかない。
東北地方の岩手県出身の詩人・文学者の宮沢賢治は農民だった。
彼が残した有名な詩「雨にも負けず」を紹介しておこう。
雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ、
丈夫なからだをもち、慾はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらゆることを、自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、そして忘れず
野原の松の林の陰の、小さな萱ぶきの小屋にいて、東に病気の子供があれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいといい、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろといい、日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、みんなにでくのぼーと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういうものに、わたしは、なりたい
厳しい自然と共存しながら生活していかざるを得ない東北の農民の実情をしみじみと感じさせる詩である。
「てんでんこ」は厳しい教えではあるが、自然の恵みも自然の災害もすべて運命として受け入れ、
国やお上にも過大な期待もせず、与えられた運命の中で自分なりの価値観や生きがいを見つけていく、
したたかで、かつ、究極な生き方を表しているように思えるのだが。