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■ 江戸時代の教育システム(2)・・・2006.12月

 寺子屋でどうしても始末に負えない子供に対しては、師匠は「破門」を申し渡す。つまり「退学」である。破門を言い渡された子供は入門のとき親から用意してもらった机や勉強道具をもって家に帰る。その時、友だちや先輩が付き添って行き、親に破門の事情などを説明する。すると親はよく承知していて、子供を連れ、師匠の所へ謝りに行く。親は「叱っていただいて有り難うございました。このようなことが二度とないように注意しますのでどうかお許し下さい」などと言って子供と一緒に謝り、許してもらう。

 謝るのは親だけではない。近所のおじさんやおばさん、先輩や手習い師匠の奥さんなども、子供と一緒になって師匠に謝る「あやまり役」という習慣があった。師匠が子供を叱りつけているそばで、あやまり役を引き受けた人が「私に免じて許してやって下され…」などと言う。師匠はそれをちゃんと心得ていて頃合いをみて許すのである。子供はその様子をじっと見ていて、本当に反省する。

 ときには、師匠は「破門」を言い渡すときに、前もって「あやまり役」となる人と謝り方の打ち合わせをしておく、と言うこともあったようだ。

 さて、寺子屋で、読み書きそろばんを一通り習い終わったら、どうするか。その後は「往来物(おうらいもの)」と呼ばれる教科書によって知識を得て行くことになる。農民、漁師、大工、呉服屋、米屋など職業別の往来物が数多くあった。「往来」と言うのは、もともと読み書き学習が手紙文の往復によっていたことに由来する。出版される往来物は高価なので、手習い師匠を始め、多くの人は知人や貸本屋から借りてきたものを手書きで書き写していた。書き写すのは大変だったが、その分頭の中によく入ったかも知れない。

 子供が成長し、丁稚奉公や親方に弟子入りしたあとはどうなるか。親方は弟子に対し、あまり細かな「知識そのもの」は敢えて教えなかった。むしろ、仕事に取り組む態度、知識を得る方法、対人関係の礼儀作法などを重視していた。だから弟子は親方など先輩の背中を見ながら自分で考え、工夫して成長していった。そして応用力を身につけていったのである。あえて全部は教えない、という当時の教育法、何とも味わい深いではないか。

 ここまで書いてみて、改めて江戸時代の社会システムに胸を打たれる。

 さて、ひるがえって現代の日本の教育の実状に目を向けてみよう。そこで皆さんはどんな感想をお持ちにな るだろう か。

 
 

■ 江戸時代の教育システム(1)・・・2006.11月

 近年の日本社会は荒廃している。

 有識者たちは、日本の戦後教育のあり方が間違っていた、と指摘する。そうであれば早くそれを是正すべきなのだが、そんな動きは少しも感じられない。

 国会では教育基本法に盛り込む文言について果てしない議論がされている。大まかに言えば「愛国心を育てる」文言を入れるかどうか、という議論だ。そんな抽象的な議論をしている間にも、次々に新しい悲劇が生じ、新聞やテレビのニュースで流される。

 教育は抽象論ではない。私たちの毎日の生活の中に密着している問題なのだ。

 さて、最近テレビで放映された江戸時代の教育システムが大変興味深かったので紹介したい。

 江戸時代では近所の人たちの間のつき合いが深く、どこかで子供が産まれると近所全体がそれに関わった。生みの親とは別に産婆さんが仮親になる。生まれてすぐに乳を飲ませた乳付け親、名前を付けた名付け親、など子どもが成人になるまでの間のいろんな行事でいろんな親がいた。そんな親たちとの関係は一生続いた。つまり、子どもは多くのご近所の人たちの「眼差し(まなざし)」を受けながら育っていったのである。ご近所の教育力があったのだ。

 江戸時代には現在のような学校制度はなく、そのかわり全国あちこちに寺子屋があった。幕府が画一的な管理をしているわけではないので(今の日本では画一管理がされている)寺子屋の実態はいろいろだった。基本的には子どもに課題を与えて自習させ、師匠が適宜にその子供のレベルに応じた個別指導を行った。現在のような画一的な指導ではなかった。主に読み書き、そろばんを教えた。

 寺子屋の師匠は地域の人々から最も尊敬される職業だったが、必ずしも裕福ではなかった。しかし、師匠と生徒の間の師弟関係は強く、両親に言えないことでも師匠に相談したようである。まさに「生みの親より育ての親」だった。

 行儀が悪く、悪さをするなどの子どもは師匠に叱られ、体罰が与えられた。ムチで叩く、師匠の前に正座させる、その他清掃や居残りもあった。

 子どもが師匠からどんな体罰を受けても子供の親は決して文句を言うことはなかった。寺子屋の師匠を信頼し尊敬していたからである。

   では、どうしても始末に負えない子供はどうするか。大変興味深い仕組みがあるのだが、それは次回で…。(つづく)
 
 

■ 役員給与・報酬の税制改正・・・2006.10月

 本年6月号で「中小企業への課税強化」のタイトルで「オーナー税制」について解説した。

 その他にも、会社役員に支払う給与、報酬に関し極めて注目すべき税制改正があったので、そのことに触れておきたい。

 今年新しい会社法が実施されるに伴い、会社の設立もこれまでより自由な組織や仕組みでつくることができるようになった。それに伴い、経営者に支払う給与・報酬もこれまでと違った支払い方ができるようになった。

 これまでは役員報酬は毎月定額で支払うものしか損金として認められていなかった。そして報酬を改定するときは株主総会や取締役会で決議しなければならなかった。ただし、その決議はいつ行ってもよく、自由だった。

それが今回の改正で三種類の役員給与が認められることになったのだ。

第一は「定期同額給与」である。これは、これまで月額で認められていた役員報酬のことである。ただし、その額はその事業年度が開始してからの3ヶ月以内に決められているものでなければならない。年度の途中で勝手に変更がされている場合はその部分は損金として認められない、というものである。

では、会社の経営状態が悪化した場合に年度の途中で報酬を減額したときはどうなるか。この場合は、「経営の状況が著しく悪化したことその他これに類する理由によりその改定がされた場合」はそれを認める、としている。

 ここで言う「経営の状況が著しく悪化」の「著しく」とはどの程度を言うのだろうか。オーナーの体調が優れず、後継者に権限を譲って自分の報酬を減額する、など具体的な事例が今後生じてくるとどうなるか。損金として認められるかどうかの問題なので非常に重要である。

税務署の恣意的な判断で決まるとすれば納税者は困惑する。

 第二は、「事前確定届出給与」である。

これまでは、役員に支払う臨時的な支払は「役員賞与」とされ、損金として認められなかった。これを認めようとするものである。

損金にすることを認める代わりに、支払う役員名、支払時期、支払金額などを事前に税務署に届け出なければならない、というものだ。いったん届け出ると「確定額」となり後から変更ができない。実際の支払額と違ったりすると支払った全額は損金として認められなくなる。経営悪化のため減額した、といっても認められないようだ。

第三は、「利益連動給与」である。これは会社の利益の変動に合わせて役員の給与を増減できる制度である。しかし残念ながらこの制度は株式を公開している企業にしか適用されない。しかも、いくつもの厳格な制約要件があるので、一般の中小企業には関係がないと思われる。

以上役員給与に関する3つの税制改正の概要を述べてきたが、どれをとっても今一つ物足りない、感じがする。

中小企業の活性化は日本経済にとってかなめの問題である。にもかかわらず、本当に中小企業の目線に立った政策が行われていない。

 中小企業にとって国は本当に味方なのか。多くの中小企業は国を信じたい、と思っている。しかし、一方で国など信じられない、と公言する経営者もいる。

特に今年の税制改正は、本当に中小企業の声を聞いて慎重に議論されてできたものか疑問だ。

  「日本の国に生まれてきてよかった」と国民が思える国にしたい、と安倍新総理は就任の挨拶で述べた。だが、ちょっと空しく聞こえるのは私だけか…。
 
 

■ 暑かった夏・・・2006.9月

 今年の夏は暑かった。

 地球は温暖化しており、そのため日本は亜熱帯になりつつあるのでは、というテレビ番組があったが、やはりそうなのか、という思いを新たにさせられた。

 暑さが違うのだ。かつての日本の夏はむんむんとした蒸し暑いものだった。ところが最近の暑さはどうだろう。蒸し暑い、というよりもひりひりと皮膚に突き刺さるような暑さである。

 台風の発生の仕方も異なっている。かつては、台風はフィリピンの南のマリアナ諸島あたりで発生し、そこで充分発達した後、速度を速めながら日本列島を縦断して行ったものだ。それが最近は違っている。

 今年の台風は日本の近海で発生している。そして発達しながらゆっくりと日本列島に近づく。上陸する所もかつてのように石垣島や沖縄ではない。九州や四国など日本の本土へ直撃してくるのだ。

 台風が進む速度が遅いので、雨を伴っている場合は雨による被害も大きくなる。

 さて、こんな暑い気候が今後も続くとすれば、日本人の生活スタイルも今後変えていってもいいのではないか、という気になってくる。

 例えばヨーロッパの地中海に面した国々のことを考えてみたい。ギリシヤ、イタリア、南フランス、スペインなどの国々のことである。地中海はヨーロッパ大陸とアフリカ大陸に囲まれたいわば内海である。日本で言えば瀬戸内海の規模を大きくしたようなものだ。地中海の南のアフリカ大陸には広大なサハラ砂漠があり、その熱風が地中海を越えてやってくる。だから地中海に面した国々の夏は極めて厳しい。

 これらの国では、真夏の日中は人は活動を停止する。所によって若干違うが、例えばイタリアの場合、通常のお店は午後の1時頃に閉まってしまう。そして夕刻の4時頃に再びオープンし、閉店は午後8時頃だ。つまり、人々は午後の暑い時間帯には活動せず、自宅などでゆっくり昼食を食べ、昼寝をし、体力を貯える。そして夕刻に再び出勤するわけだ。

 午後8時頃仕事を終えた人たちはおしゃれをして街に繰り出す。どのレストランも8時を過ぎないとオープンしない。夕食を午後10時頃に済ませると次はオペラや映画の観賞、バー、ゲーム場など夜のレジャーが待っている。家に帰るのは深夜だ。

 要するに昼間活動しない分、夜を有効に活用している。生活のスタイルがそのようになってしまっているのだ。

 ヨーロッパでは3月から10月まではどの国もサマータイムを採用している。1時間時刻をずらし、その分、日没の時刻を遅くしている。つまり、退社後の夜の自由時間を長くしているわけだ。

 日本でも、サマータイム制の導入について北海道を中心に検討が行われ、サマータイムのメリット、デメリットについていろんな議論があった。しかし、全国的な盛り上がりには至らず中途半端のまま立ち消えになってしまっているようだ。

 しかしこうも暑いのでは、サマータイム制の導入も含め、日本人の生活スタイルはどう変化して行くべきか、について、総務省や厚生労働省は検討してほしい。国民の健康維持、昼間から夜への時間のシフトによる国民の余暇の高揚、それによる消費意欲の増大、さらには雇用機会の増大などが検討課題になるだろう。

   暑い最中に昼寝もしないであせまみれで仕事をし、寝苦しい夜を家に閉じこもって過ごすより、昼の間に体力をつけておき、夜は街に出ていろんな人たちとコミュニケーションをする。そうすれば夜の街も活気が出てくるだろう。それが日本の活力の源泉になるかも知れないのだ。
 
 

■ 大学入試廃止論・・・2006.8月

 青色発光ダイオードを発明した中村修二さんがテレビで面白いことを言っていた。

 大学入試を廃止してはどうか、というのである。そうすれば社会の構造がダイナミックに変わり日本が活性化する、という。

 具体的に考えてみよう。

 ある年度から突然大学入試がなくなる。誰でもいつでも自由にどこの大学にでも入学することが出来るようになる。定員制などはない。

 早速有名な大学に学生が殺到する。人気のある教授の講義では学生が殺到し、教室は満員になる。座れなかった学生は後ろで立ったまま講義を受ける。どうしても座りたい学生は次から人よりも早く教室へ来て座席を確保するようになる。学生たちは真剣に席取り競争をすることになる。

 さて、期末ともなれば難しい高度な試験が待ち構えている。試験の結果が合格点以下であれば単位を取ることができず、従って進級できない。

 ここで思い通りにならなかった学生は自分の進路について考える。そして、より自分の性格に合った別の大学へ転入学する者も出てくる。気の合った友人や好きな教授を求めて大学を替わったりする。いつでも何回でもやり直しができる。

 何度も入退学を繰り返した後で、やっと自分のやりたい道を見つけ出す場合もあるだろう。それでいいのである。

 一方、不人気の大学へは学生は来ない。かくして大学の間には大きな格差が生じる。しかし、数年も経てば学生もだんだんと要領が分かってくる。自分の力の程度を顧みず、高いレベルの大学へ入学しても結局うまくいかない。そして、徐々に大学間のバランスが取れるようになる。

 大学では学生を集めるためにいろんな戦略を練ることが必要になってくる。

 スポーツ、芸術、芸能、技術、研究など特徴のある大学運営をすることが求められるようになる。産業界と連携し、研究成果を発表し、特許を取得するのもいい。

 宇宙開発、海洋科学、遺伝子工学などテーマを明確にした学部を作ることもいいだろう。

 つまり多種多様な特徴をもった大学が出来る。

 では、このことによって、中学校や高校はどう替わるだろうか。まず、大学入試のための勉強は必要がなくなってしまう。今、誰もが感じていることだが、入試のための勉強ほどムダなものはない。入試のために覚えた知識は社会へ出てもほとんど役に立たない。こんなムダな事のために、社会全体で膨大なコストを費やしているのである。

 そこで中学や高校では一般的な基礎的な学習を行うことになる。社会人として必要な常識や倫理などもっと実践的なことを習う。同時に、中学生や高校生たちは大学入試のための勉強の代わりに、将来自分が進みたい方面の勉強をすることになる。

 自分の進路を早くから決めている学生は、より早くから専門分野の勉強をすることが出来る。それは、大学へ行った後も充分役立つし、大学入学の後も有利である。能力のある子供は早くから専門分野の勉強を始めるので英才教育にもなる。

 父兄にとっても有り難い。子供を進学させるための塾などの教育費がかからない。これまでだと、家庭的に恵まれていけなければ塾へ行けない、塾へ行かなければいい大学へ行けない、つまり、貧富の格差が大学受験に大きな影響を与えていたのが、それがなくなるのである。余裕の無い家庭にとっては誠にうれしいことである。

 学校の教師も変わる。むしろ、生徒の全人格を見守り、きちんとした社会人に育てていくことができる教師が求められるようになるのである。

   さて、皆さんはどう思いますか?
 
 

■ 好景気?・・・2006.7月

 好景気が続いているという。何でもこの景気が今年 11 月まで続くと戦後最長の「いざなぎ景気」( 1965 〜 1970 年)を抜くそうだ。

 庶民感覚からすればとてもそのようには感じられないのだが、ここで今回の景気はこれまでの景気とどこが違うのか、を考えてみたい。

まず、銀行にとって好景気だということである。かつて銀行が不良債権の山を抱えて途方に暮れていたとき、竹中大臣が救世主のように現れた。彼は言った。「日本経済を立ち直すためには、まず銀行を助けなければならない。銀行さえよくなれば他の業界もよくなるはずだ」

 そこで国は銀行に対して多額の公的資金をそそぎ込み、さらに低金利政策で銀行はほとんどコストゼロの資金を調達できるようにした。その上、量的緩和政策により、資金をじゃぶじゃぶと銀行へ流した。また銀行が証券業務も出来るようにした。

 それに対して銀行はどんな経営努力をしただろうか。まず、送金料や口座振替手数料などの料金を大幅に上げ、さらに小切手帳や手形帳などの代金を値上げした。そして預金者に対してはすずめの涙のような利息を支払った。

 竹中大臣は、銀行に対し「資金をもっと中小企業などに貸出しなさい」と指導した。しかし銀行は不良債権が生じることを恐れ、積極的に企業に貸出をしようとはしなかった。それどころか、貸し渋りや貸しはがしを行った。

 では、銀行は資金をどこに使ったのだろうか。銀行はその資金で大量の国債を購入した。国債から得る利息は少ないけれども、銀行が調達する資金のコストは低いのでそれだけでも充分儲かる勘定になるのだ。

 政府にとっても国債を引き受けてくれる銀行はありがたい。国の利益と銀行の利益は見事に一致したのである。

 さらに銀行は新たな貸付先として一般の消費者に窓口を広げてゆく。一方で銀行は大手の金融業者に資金を貸し出すことで利益を得ることになる。つまり、金融業者を通じて資金を貸し出すことでリスクを回避するのである。その結果、お金を借りたい人が銀行の窓口へ行くとそこに他の金融業者のパンフレットが置いてあり、その業者から借りることを勧められる、といったことも起きることになった。

 不良債権を整理した結果、貸倒引当金を取り崩したこともあって、銀行は今年の 3 月期に空前の利益をあげている。

要するに、銀行が利益をあげたのは自らの経営努力の結果ではない。銀行が儲かるように国の政策が行われたからだ、と言っても過言ではないだろう。

 ところで一般の企業はどうか。

バブル崩壊後の不況を乗り切るために各企業はいろんな方策を行った。極力、借入の返済に努め銀行への依存度を低くした。人事面ではパートやアルバイトを増やし、正社員を減らした。給与面では年功序列をやめ、成果主義に移行した。贅肉をなくしてスリム化し、売上げは伸びなくても利益が出やすい企業体質にしていった。

 その後中国のめざましい経済発展が始まった。日本国内の需要は遅々として伸びないけれども、米中を中心とする貿易が活発になってきたのだ。

景気はよくなった、と言っても各企業は非常に慎重な経営をしている。景気がいいからと言って銀行に踊らされることのないよう細心の注意を払っている。だから景気自体もかつてのように「太く短く」ではなく、力強さはないが細く長続きするような流れになっている、とも言えるようだ。

このあと好景気が消費者の身近に実感できるようになることを期待しつつ、しばらく事態を見守って行きたい。

 
 

■ 中小企業への課税強化・・・2006.6月

 平成18年度の税制改正で極めて重要な制度が決められた。実質オーナーが一人で支配している企業については、そのオーナーが会社からもらっている給与にかかる給与所得控除額を損金にしない、というものである。

 私たちが会社から給与を貰うとき、その支給総額に対してまるまる税金がかかるわけではない。例えば年間500万円の給与の場合、給与所得控除として約150万円を差し引き、残りの350万円に対して税金の計算をしている。

 この例の場合、新制度では法人所得について税金の計算をする際、これまでの法人の所得に150万円を加えた額に対して法人税の計算をしなさい、と言うものだ。法人に対する税率を大まかに40 %とすれば、法人が納める税金は、150万円×0.4で60万円増える。しかもこれは会計上は経費であるにもかかわらず、税務上は損金にならないのだ。

 では、実質オーナーが一人で支配している会社とはどんな会社なのだろうか。それは次の二つの要件に当てはまる会社である。

 1.同族関係者で株式の90 %以上を持っていること。

 2.常務に従事する役員の過半数が同族関係者であること。

 日本の中小企業のほとんどが同族会社であり、そのうちの相当の割合の会社が以上の要件に当てはまってしまう。中小企業にとっては大きな問題である。

 ただし、次の場合にはこの規定の適用を免れることができることになっている。

 1.法人の所得金額とオーナーに支払った給与の合計の過去3年間の平均額(基準所得金額という)が800万円以下である場合。

または

 2.基準所得金額が800万円を超え3 ,000万円以下の場合で、かつ、オーナーの給与の額がその50%以下である場合。

 例えば、オーナーであるAさんが役員としてもらっている給与が年間600万円(月額50万円)とする。もしAさんの経営している会社の所得が200万円を超えると合計額は800万円を超えることになり、Aさんの会社は600万円の給与に対応する給与所得控除額、約170万円に対する法人税等約65万円を余分に支払わなければならないことになるのだ。

 この制度は法理論的にも間違っている。そのことについて説明するには紙面が足りない。残念ながら割愛する。

 それはともあれ、今の日本は活力がない、と言われている。その表れとして新たに事業を起こす人が少ない。事業を起こしても苦労がそれほど報われない、と思われている。だから大多数の人たちは正社員のサラリーマンか公務員になりたいと考える。しかしその道はせまい。だからフリーターのような中途半端な生き方をする人が増えている。

 日本の社会を活性化するには国民が意欲をもって事業を起こすことができる社会整備をすることが必要だ。政府にとって、起業する人たちを育てることが急務のはずだ。なのに、その言葉とは裏腹に、起業をするな、と言わんばかりの税制改悪である。

 小泉首相に聞いてみたい。「あなたはこの税制を変えるに当たって、商工会議所や商工会、税理士会、その他各種の中小企業団体によく説明し、意見を充分に聞きましたか。密室のなかで短絡に決めてしまったのではないですか」

 すでに東京税理士会ではこの制度に反対する声明を出している。

 ところが一方で、本来中小企業を擁護すべき商工会議所や商工会は、何らの行動も起こしていない。

   今後の成り行きを注目して行きたい。
 
 

■ 合同会社・有限責任事業組合・株式会社・・・2006.5月

 新会社法が5月から施行された。

 新会社法は広範囲にわたる改正を含んでいるが、その中でも新規に「合同会社」の設立を認めることになったのが特に注目されている。

 合同会社とは近年諸外国で普及しているLLC( Limited Liability Company=有限責任会社)の日本版とも言うべきものである。社員(株主)は有限責任で出資額の範囲で責任を負う。社員1人からでも設立できるし、出資額(資本金)も1円以上でよい。出資した社員はそのまま業務執行権をもっている。一方、任意に業務執行権のある社員を選ぶこともできる。配当も社員ごとに違った扱いで計算し、支払うことが出来る。

 設立手続きも簡単で、株式会社のように定款を公証人に認証してもらう必要もない。全体として、組織運営の自由度が高く、社員全体の自主運営が大幅に認められている。「商法は規制の強い法律」というイメージから大分違ったものになっている。

 自由度が高い一方で、他の社員や債権者は会社に対し、計算書類の閲覧を請求できるなど、情報開示も進めている。

 これは、産学協同で特定のプロジェクトを立ち上げる場合などに有効なのではないか、と期待されている。大学側は技術はあるが出資する金がない。企業側は出資する金はあるが技術がない、といった場合に技術を提供する側には配当率を高くし、出資だけをしている方には配当率を低くする、といった調整もできる。

 ところで、昨年8月から経済産業省の肝いりで有限責任事業組合という事業組織が認められている。これは欧米ではLLP(Limited Liability Partnership)と呼ばれているもので、今回新会社法で認められることになった合同会社の仕組みとよく似ている。大きな違いはLLPは会社ではなく、構成員の協同組合であることだ。したがって、LLPで生じた利益はそのまま構成員に分配され、それぞれのメンバーの利益となる。LLP自身には法人税はかからない。利益の分配の仕方は必ずしも出資の割合によらなくてもいい。

 街づくりのイベントなどの特定のプロジェクトを実行する機関としても活用できそうだ。最近、NPOを立ち上げたものの軌道に乗らず、NPOの限界を感じた団体がLLPを設立する動きも広がっているという。

 今回の会社法の改正で、有限会社の制度は廃止された。しかし、選択肢はある。

 まず、会社としては、株式会社、合名会社、合資会社、合同会社の4つがある。その他に有限責任事業組合、NPO法人、個人事業がある。起業者は自分がやろうとしている事業にとって、どの組織がもっとも適しているかを選択する事になるわけだ。

 なお、株式会社の仕組みも変わった。これまでは株式会社の仕組みは法的にがんじがらめに規制されていたが、新会社法では株式会社であっても、最も単純な組織では1人の株主と1人の取締役だけ(1人が両方を兼ねれば、結局1人だけ)で、かつ、資本金は1円で設立できるのだ。

 もちろん従来通り複数の取締役、複数の監査役を置いてもいいし、税理士などを会計参与として置いてもいい。どんな組織にするかは会社の定款で自由に決めればいいのである。

 時代の多様なニーズに合わせ、運営しやすいように自由な発想で組織を作りなさい。そして、活発に経済活動をしてほしい。その代わり、企業の計算書類についてはある程度情報開示し、外部から分かりやすいようにして下さい、というのが今回の会社法改正の基本なのである。

 新しい会社法が日本の経済を活性化してゆくことを期待したいものである。

 
 

■ ジニ係数・・・2006.4月

 最近「ジニ係数」という言葉を見聞きする。

 日本国民の所得格差の拡大を「ジニ係数が大きくなっている」などと説明している。

 ジニ係数とは、イタリアの数理統計学者コッラド・ジニが1936年に考案した指数である。ジニ係数を所得に関して言えば「その集団の構成員の所得格差が全体として平均所得に対してどれだけになるか」を示しているという。

 格差が全くない完全平等の社会ではジニ係数はゼロになる。また、一人だけが全所得を独占している完全不平等の社会ではジニ係数は1となる。つまりジニ係数はゼロと1の間にあり、1に近いほど所得格差が大きいことを示している。たとえば、平均値が500万円でジニ係数が0.4の場合、所得格差を全体としてみると500万円の40%で200万円ということになる。

 日本では、1970年代まではジニ係数は安定していたのに1980年代以降は増大傾向にある。例えば1999年を1981年に比べると再配分所得(納税、社会保障給付後の所得)は0.31から0.38に上昇している。

 厚生労働省は、最近の「所得再配分調査」でジニ係数を0.4983と発表した。これは大体上位4分の1の所得者が全体の4分の3を得ていることになる。一方、総務省の全国消費実態調査を基にすると2004年は0.308で10年前より0.011ポイント高くなっている。

 世界の先進国の場合、大体0.3弱程度で推移している。先進国のなかではアメリカだけが例外で0.5ぐらいである。アメリカは多民族国家で低い所得の移民も多く、一方で大金持ちも多い。従って所得格差が大きいのはうなずける。

 とすると、先進国の一員と自認している日本のジニ係数が約0.5というのはどう言うことなのだろうか。実際にそうなのか、データの取り方に問題があるのか、そもそも他の国と日本では基本的に比較する前提が違っているのか。もっと詳しく説明してほしいところだ。

 学究的な考察はさておいて、確かに格差が増大していると実感している人は多い。

 「勝ち組」「負け組」という言葉が広がっている。フリーターやニートと呼ばれる若者が増えている。結婚もせず、年収200万円にもならない若者たちがそのまま年老いてゆくと、将来の日本の姿はどうなるか、イメージが涌いてこない。

 一方、高齢者の間の収入や資産の格差も大きい。現役時代に恵まれた地位にいた人は死ぬまで多額の年金で保障されている。逆に現役時代に恵まれていなかった人たちは老後も一向に恵まれないまま、少ない国民年金に甘んじていかなければならない。今後高齢化が進むに従い社会の格差はますます大きくなっていくだろう。そもそも年金制度は、憲法に保障された最低の生活を保障すれば足りるものではないか、という疑問も残る。

 危惧されるのは今後格差が固定化し、階級社会になる可能性があることだ。

 表面的には機会は平等である。例えば誰でも能力があれば有名な大学を受験し、合格すれば入学することが出来る。これは機会が平等になっていることを意味する。

 ところが現実には親にそれなりの収入があり、家庭に資金的な余裕がなければ学資を送金できない。要するに貧困な家庭の子供は良い学校へは行けないのである。また、就職に際しても、社会的によい地位にいる親のコネによって良い就職先に入ることが出来る。結局、上流家庭の子女はそのまま上流の道を歩むことが出来るが、中流以下の家庭の子女にはそのまま困難な道が続いている。そんな社会がいいとは思えない。

 このように階層が固定していくのをいかに防ぐか。ほんとうの意味での機会均等の社会を実現することが国に求められる大きな課題だろう。

 
 

■ 郊外から市街地への回帰・・・2006.3月

 かつて、どこの都市へ行っても賑わう中心商店街があった。そこへスーパーなどの大型店が進出してくる。当然、商店街は大型店の進出に対して猛烈な反対運動を展開した。

 しかし、大型店には立派な大義名分があった。

 「我々は豊富な品揃えをし、消費者の生活をより豊かにしている。我々はこれまでの古いタイプの商店より、商品を安く、かつ大量に提供することが出来る。だから経済的にも消費者の生活をより豊かにしている。消費者は我々を支援している。消費者は我々の味方なのだ」

 「消費者は味方だ」というのはまさしく「錦の御旗 (にしきのみはた)」のような説得力をもつ。それを受けて、その後大型店の出店の規制が大幅に緩和された。「消費者は味方だ」の旗を掲げながら、より大きな店舗が郊外へ郊外へと広がっていった。そして街の中心に近いところに立地する商店やスーパーは次第に廃れ、廃業、撤退していった。

 その結果、街の中心から最も遠くにある最も大きな店舗だけが繁盛するようなことになってしまったのだ。

 かつて繁盛した街に近い店舗の跡地はパチンコ店などに模様替えされ、なかにはゴーストタウンになっているものまである。

 郊外の大型店は若い層には魅力的だが、老人や子供にとってはとても遠い存在だ。また、主婦がちょっとした日常の買い物に行くにも不便である。今後高齢化が進むと車を乗りこなすことが苦手な老人にとっては誠に具合が悪いことになるだろう。

 最近、これまでの大型店のあり方について、明らかに逆風が吹き始めている。そのことと関係があるかどうかはよく分からないが、最近、大型スーパーの業績が頭打ちになっているようだ。

 業績を持ち直すために大型スーパーでは徒歩客を取り込むための小型の店舗を街の中に作ろうとする試みがなされている。

 報道によればイオンが「まいばすけっと」という小型の店舗を始めた、という。これまでの郊外型食品スーパー「マックスバリュー」の10分1程度の大きさの店舗だ。一方、街のなかのコンビニエンスストアでも生鮮食料品を扱う店が増えている。いずれも街のなかの徒歩客をターゲットにしようとするものだ。

 そんな社会情勢の変化をみてか、政府は中心市街地の活性化を図るため、まちづくり3法の改正に乗り出した。まちづくり3法とは「改正都市計画法」「大規模小売店舗立地法」「中心市街地活性化法」をいう。その案によると、大型店が郊外に出店するのを規制し、また、福祉施設など公的施設の郊外立地にも歯止めをかけるという。

 まちづくり3法の改正により、次のことが期待されているようだ。

 まず、中心市街地に小型の店舗が出来るようになる。そして住民は市街地に集まるようになる。つまり、市街地への回帰が始まる。やがて市街地は高齢者や子供たちの住みやすい街に生まれ変わる。そこに人々のコミュニケーションの場が形成される。車ではなく徒歩と自転車が中心の街になる。

 一方、問題もある。中心街の小型店舗は果たして採算がとれるのか、という点である。人口が密集している都会であれば小型店舗でも十分採算がとれるだろう。しかし、地方都市の場合は疑問だ。採算を考慮すれば、商品の価格を高く設定せざるを得ない、などの課題も生じてくるだろう。

 一方、消費者からすれば中心市街地で快適に過ごせるなら、商品の値段は多少高くてもいい、という選択肢もあるかも知れない。

 いずれにせよ、これまでの「市街地から郊外へ」の流れが「郊外から市街地へ」と逆流し始めた感がする。「歴史は繰り返す」の格言を予感させる。

 
 

■ 団塊の世代が60才になるとき・・・2006.2月

 2007年問題、というのがある。

 いわゆる団塊の世代が定年を迎え始めるのが 2007年だ、というのだ。団塊の世代とは、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)までに生まれた人たちのことで、その人口は680万人から700万人くらいになるそうだ。この大きな人口の人たちが2007年を機に定年を迎え、退職することでいくつもの問題が生じてくる。

 まず、第一に年金支払いが増えるので国の財政に大きな影響が生じることが挙げられる。第二に、大量の熟練工が退職するので熟練工の人材不足が生じる。つまり、ものづくり日本のシンボルだった人たちが職場からいなくなることだ。第三に、技能をもった熟練工がいなくなるので、新たに若年層を育てることが困難になることだ。第四に、定年後、夫婦が一緒に暮らすことになり、それを契機に熟年の離婚が増えるのではないか、ということ。第五に、医療や介護などの社会保障費が増加すること。第六に、高齢者だけの所帯が増えるので、地域社会が支えていく仕組みが一層重要になること。その他にもいろんな問題をあげることができる。

 一方、そんな不安を吹き消すように、団塊・シニア世代をターゲットにした新しいビジネスに取り組む企業が増えている。企業家からみれば、 700万人ともいわれる団塊の世代は極めて魅力的な市場なのである。

 「団塊」は「同じような性質を持ったものの大きな固まり」のイメージがある。確かに団塊の世代が小学生だった頃は小学生という均一のイメージで捉えることができた。しかし、彼らが年を経るごとにそれぞれ異なる人生を歩み始め、環境や社会的な地位も違ってゆく。そして 60才ともなるととても「団塊」としてひとくくりをすることができないほど多様な人たちになっているのだ。健康で生きがいのある仕事を続けている人もいれば、たいした年金も貰えず病気に悩んでいる人もいる。貧富の差も拡大している。家族に恵まれて幸せに暮らしている人もいれば、孤独で生きている人もいる。

 つまり、団塊の世代をターゲットにしたマーケティングは一律の発想では不十分なのである。結局、個々の顧客の全体像を理解してマーケティングするしかない。

 団塊の世代といってもその半分は女性である。女性の場合は男性よりも早くから職場の第一線から離れていることが多い。そして第二の人生を歩んでいる。一般的に女性はおしゃべりで元気、そして活発だ。旅行会社が企画する海外旅行やハイキングなどでも女性の方が多い。子育ても終わり、昔と違って孫のお守りをしない彼女たちを見ていると、心から人生を謳歌しているようにみえる。

 一方、男性の場合でも 60才になったあとも次の新しい人生に取り組む人が増えている。また、定年前に既に職場の第一線を退き、自分なりの人生を歩んでいる人もいる。したがって2007年になると団塊の世代が一斉に世の中にあふれ出る、と考えるのは誤りである。2007年問題は既に進行しつつある、と理解するのが正しいだろう。

 いずれにせよ、境遇を異にはするが 700万人の市場があることは事実だ。この人たちは老後の生き方についてそれぞれ問題意識を持ち、それぞれの人生観をもっている。一人一人が違った価値観を持っている。

 その人たちを自分の企業のお客にするためにはどうしたらいいのだろうか。結局一人一人の人生観や生き方の哲学をじっくり聞いてあげることだろう。そしてニーズをしっかり捉え、彼らにとっての最善の道筋について相談に応じたり、話し合ったりすることだろう。

   そういえば、家の補修を持ちかけられ、大金をだましとられたある老夫人が言っていた。「とても親切な方でした。私の話をじっくり聞いてくれました。今でも私はあの人がそんな悪い人だったとは思われません」
 
 

■ 今年はインフレ基調になるか?・・・2006.1月

 明けましておめでとうございます。
さて、今年は相変わらずデフレの状態が続くのでしょうか、それともインフレに転じるのでしょうか。

 これに対する政府の立場はこれまで不透明のままでした。国は一体全体どちらを目指しているのか、国民にははっきり分かりませんでした。

 ところが、昨年末、政府は来年度予算を策定するために、今後の経済見通しを発表しました。それによると、来年度経済の実質成長率は1.9%、名目成長率は2.0%で消費者物価指数は前年比0.5%上昇し、日本経済が9年ぶりにデフレから脱却するとの見通しを示したのです。

インフレと言っても極端な物価の上昇は困り者ですが、ゆっくりしたインフレは歓迎する人が多いでしょう。過去において、日本経済の成長期に安定したインフレがゆっくり進んでいました。この間に日本は安定した経済成長をとげ、世界有数の経済大国を実現したのです。

 しかし、当時と現在の経済環境にはいくつかの違いがあります。第一に、国や地方は国債などの大きな借金を抱えており、これらを減らすためには増税して国民の負担を増やさざるを得ない状況にあることです。第二に、高齢化社会が進み、医療や介護などの社会保障費用が増大し、その結果国民の負担が増えていることです。第三に、今後、少子化を防止するための対策が大規模に行われることになり、そのための社会政策費用が増大することが予想されることです。第四に、貧富の差が広がり、社会が不安定になりつつあることです。最近になって犯罪が増えつつあることはその表れともいえます。第五に、働き方が多様化している事です。正社員が減少し、代わりにパートや人材派遣、アルバイト、個人事業など様々です。働き方が様々な分だけ、収入の差も様々、ということになります。フリーターやニートと呼ばれる人たちも増えています。

 その他にもいくつも数え上げることが出来るでしょう。総じて、国民の可処分所得(自由に使える収入)が増えにくくなっています。従って、インフレになっても、かつての高度成長期のようになるかどうかは非常に疑問です。

 ところで、私たちにはとても信じられない話をします。

 政府の発表によれば、日本経済は2002年1月を底にすでに景気回復しており、この回復基調がこのまま今年の10月まで続くと、戦後最長のいざなぎ景気(1965年10月から1970年6月までの57ヶ月)に並ぶ、というのです。思わず「うそー!まさかー?」と、叫びたくなります。国民の内どれだけの割合の人が「4年間も景気が上昇しているのだ」と実感しているでしょうか。

 あらためて政府の意図を勘ぐりたくなります。増税して国民の負担を増やしたい。社会保障の国民負担も増やしたい。そのためには現在景気がいいのだ、と国民に思わせることが必要だ。つまり、結論が決まっていて、それに合わせていろんなデータを作っているのではないか…と。 

さて、政府の発表にいくら意見を述べてみても、私たち中小企業には何の役にも立ちません。

 新しい年を迎え、新たな挑戦の年、と考えましょう。街づくりに携わるある経営評論家が言っていました。成功のかぎは何か。それはまず経営者のオリジナリティあふれる経営理念と戦略、あとは企業経営に対する情熱と行動力・実行力だ、と。また、日産自動車のカルロス・ゴーン氏は講演で「大事なことは2つ、将来に対する確かな目ともう一つは経営者の夢を実現する人材だ」と語っている。

 
 

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