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■ 「そのつど支持」層の拡大・・・2005.12月

 今年を振り返ってみて、やはり最大のニュースは9月に行われた総選挙だろう。

 結果的には小泉首相率いる自由民主党の圧勝に終わったが、今回の選挙は選挙民にとっていろいろ考えさせられるものとなった。

 「郵政民営化」という一つのテーマに絞ったマニフェスト選挙となり、それを掲げた自民党が成功したことである。選挙に無関心だと思われてきた無党派層が俄然選挙に深い関心を抱き投票所へ足を運んだ。

 無党派層といわれる人たちは彼らなりに社会に対して強い関心を持っており、自分の意見を持っている。しかし、いざ選挙となると自分の一票が世の中をどう変えるものでもない、といういわばあきらめと絶望感から結局棄権してしまっていたのではないか。

 その人たちを投票所に来させたとすれば、小泉首相の功績は誠に大きいと言わざるを得ない。

これまで自民党の支持とは、政党を支持する、というよりも個々の候補者への親近感や帰属意識、または仕事や地域の繋がりなどから候補者を支持する場合が多かった。

しかし無党派層の人たちは違う。彼らはマニフェストを重視する。どの党にも帰属していないが、その時々の各党のマニフェストに注目し、支持する政党を決める。つまり「そのつど支持」層なのである。

その点では、公明党、共産党、社民党の支持層は固定している。彼らは時代がどう変わろうと自分の支持する政党を替えないだろう。その代わり、数としては少数派にとどまらざるを得ないし、従って彼らが単独で政権を取ることなど考えられない。

一方、自民党や民主党の支持者でも、時代がどうなろうと自分の支持する党を替えない、と考えている人は相対的に減少している、と見るべきだろう。

イギリスやアメリカのような二大政党制が望ましい、という意見がある。日本ではさしずめ自民党と民主党だろう。しかし、国が抱える問題は多い。景気、年金、医療、外交、教育、国の借金などなど多岐にわたって難問が山積みしている。この多くの課題について特定の政党だけに白紙委任してしまうのは国民としてはいかがなものか、とも思う。

ドイツでは最近の総選挙で与党の社会民主党、野党第一党のキリスト教民主同盟・社会同盟ともに伸び悩み、二大政党を批判するその他の小政党が躍進した。国民の価値観が多様化しているのだ。結局二大政党(社会民主党とキリスト教民主同盟・社会同盟)が大連立を組むことでけりがついた。日本でいえば、自民党と民主党が連立を組んだようなものである。

国民の多様な意見を取り入れることと、政治が一枚岩となって安定していることは相反し、互いに矛盾する側面を持っている。難しいかもしれないが政治化にはこの 相反することをうまく裁いていってほしい。

大きな課題については、そのつど問題を国民に投げかけ、直接国民の考えを聞いて欲しい。その意味で国民投票の制度もぜひ検討すべきだろう。

今回の選挙が国民の関心を集めたのはこの選挙が「郵政民営化」の是非を問う国民投票的な選挙だったこともあるのだ。

今後、そのつど支持する党を決める層の人たちが増えるのではないか。そうなれば、その人たちの判断が国政を動かすことになる。

総選挙は4年といわず、もっと頻繁に行うべきかも知れない。そうすれば各党は自分の党のマニフェストをもっと具体的なものに作り替え、国民を投票所へ来させるように工夫せざるを得なくなるだろう。

 
 

■ 今や不景気のせいにはできない・・・2005.11月

 最近の経済動向をみると日本経済は明らかに回復の軌道に乗っているようだ。
 まず、企業業績が順調で、求人も増えている。新たに工場を新設するなど、設備意欲も旺盛になっている。海外の論調でも「日本のものづくりが復活してきた」などと評価している。最近ではロンドン・エコノミストが日本経済の復活について「陽はまた昇る」と論評した。

 一方、消費動向にも変化が起きている。これまでは低価格一辺倒だった消費が、最近になって高額のものも売れ始めている、というのだ。

長い間下落が続いていた土地の価格にも歯止めがかかりつつある。東京などでは地価が反転して上昇に転じたところもある。

 長くデフレの中に閉じこめられていた日本経済にもデフレ脱却の兆しが見えてきた。石油の値上がりの影響が大きいのだ。石油製品の高止まり傾向が続くとすれば一般的に物価は上昇せざるを得ないだろう。

 企業業績を反映して株価も上昇している。新しい金融商品が次々に現れ、小金を持っている中高齢者層の投資意欲を盛り上げている。

 さて、これまで企業経理者の中には自分の企業がうまくいかないことを世の中の不景気のせいにする人もいた。

 しかし、これだけいい材料がそろうと、もはや私たちは自分の企業の業績の悪いことを社会のせいにはできない。

 もちろん業種ごとに事情も違うし、地域性の違いもある。だがそれは少なくとも不景気のせいではない、と心に刻むべきだろう。

 経営者は企業業績に対して結果責任を負う。「不景気だから」とか「消費者の財布が硬くて」などど言ってみても経済指標を見るかぎり「言い訳」にしか聞こえない。

 要するに経済の構造が変化しているのだ。

 日本の貿易構造で言えば、もはや日本はアメリカ一辺倒ではない。今や対中国貿易が第一で、その他のアジア諸国のウェイトも高くなっている。

 ものづくりが復活する、と言ってもすべてのものづくりに当てはまるわけではない。IT関連分野、省エネルギー、環境関連、情報関連など時代の流れに沿っている分野が復活しているのだ。

 消費の分野では、貧富の格差が拡大している。貧富の差によってそれぞれの人たちの消費行動は違っている。また、消費者の消費行動も多様化している。どんな消費者をターゲットにして具体的な商品やサービスを提供するのかが問題だろう。

 繰り返すようだが、売上げが伸びないのは不景気のせいではなく、自分の企業の社会における存在意義が問われているのだ、と思うべきだろう。存在意義がなくなった企業は早晩社会の舞台から消え去っていくしかない。

 社会は何を求めているのか、自分のセールスポイントは何か、社会のニーズと自分が売り込もうとしている商品やサービスがうまく合致しているのか、よく考えてみたい。

 マクロ的には確かに景気は回復した。しかし、個々の企業を見るとその業績はピンからキリまであり、全くバラバラである。

 基本的に、企業経営者は楽観主義者であるべきだ。そして積極的、かつ行動的であるべきだ。もちろん熟慮は必要だ。しかし熟慮したあとの決断は果敢でスピーディでなければならない。

 考えて考え抜いたあげく、できない理由ばかりを並べ立て、結局は決断もせず実行もせず、問題を先送りしてしまうのは経営者をしては失格と言わざるを得ないだろう。

 
 

■ 原油の値上げ・・・2005.10月

 原油の値上がりが続いている。
 私たちが石油スタンドで入れる車のガソリンもリッターで130円を超えてしまった。

 アメリカでは燃料価格高騰の影響を受け、ノースウェスト航空など2大航空会社の経営が行き詰ってしまったそうだ。

 価格高騰の原因は、中国やインドなど発展途上の国々が石油をがぶ飲みしていることにあるという。そこで将来も石油の需要が増えるだろうと予測する投機筋の資金が市場に大量に流れ込み、ニューヨークの石油先物市場の価格をさらに上げている。

 加えて石油をがぶ飲みしているアメリカで大きな異変があった。ハリケーンによる被害で石油価格がさらに上昇したというのだ。

 一方で供給はそれほど増えていない。増産するには新たな油田の開発が必要だし、それには時間がかかる。産油側からすれば、増産したあと石油価格が急激に下落し、産油国に大きな打撃となる事態もあり得ることを考慮すると、増産にも慎重にならざるを得ない。

 1973年と1979年のいわゆる石油ショックは日本経済に大打撃をもたらした。その危機を乗り越えた日本では経済の構造改革が進み、石油依存度が大幅に減少した。多くの経済学者は石油価格がこのあと上昇しても日本経済に与える影響はそれほど大きくないだろうと予測している。

 むしろ石油価格の高騰でまともに影響を受けるのは石油をがぶ飲みしている中国や米国などだ、というわけである。

 しかし現実問題として私たちのまわりではインフレが始まっている。資材の仕入れ価格が上昇している。原材料の値上がりが続いている。一方で末端の小売価格は必ずしも上昇していない。それだけ流通業者にしわ寄せが来ているのだろう。しかしいずれは末端の小売価格も全体的に上昇していかざるを得ないだろう。

 デフレが定着してしまっている現在の日本でインフレが始まるとどうなるか。
 物価が上がれば一般の年金生活者やサラリーマンの家計を直撃し、生活費が上昇する。一般の企業では、明暗が二つに分かれる。インフレに合わせて販売価格を上げることのできる企業にとってはインフレはありがたい。しかし、仕入れ価格の上昇の圧力が強いに拘わらず、争が激しくて販売価格を容易に上げることのできない企業にとってはインフレは困る。

 さて、いま日本国民は市場制定の低金利政策に慣れっこになってしまっている。低金利の時代に甘えて必要以上の借入金を抱え込んでしまっている企業も少なくない。

 今後インフレの機運のなかで金利が上昇し始めるとどうなるか。多額の借入金をもっている企業は苦しい辞退に追い込まれる。金融機関から借入金の借り換えを拒否され、倒産する企業も出てくるだろう。

 一方で政府が発行する国債の金利も上がるので国の負担は増える。物価が上がれば国や地方の支出も増えるので何らかの形で増税せざるを得なくなるのだろうか。

 では、もっと明るい話題はないか。
 ハイブリッド車などを始めとして、日本省エネ技術は世界の先端を進んでいる。原油価格の重圧を乗り越えようとする国々は日本の技術に頼らざるを得ない。そして省エネ技術の輸出により日本経済は潤う。

 となればエネルギーに強い日本は世界中の羨望の的となり外国資本の日本買いが加速する。もし円高になれば石油価格は結果的に安くなる。日本の株が上昇する・・・。

 などなど、ついつい夢はふくらむのだが・・・。皆さんのご意見は?

 
 

■ ローマ帝国のこと・・・2005.9月

 最近政治がおもしろい。
特に小泉首相がいろいろ歴史上の人物に例えられているのが面白い。

 かってのナチスドイツの独裁者ヒットラー以上だと非難する人がいる。ナポレオンになぞらえる人もいる。中にはローマ帝国の悪名高い暴君ネロのようだ、という人がいる。(ネロは狂人じみた人物で自らローマ市内に火を放ち、それを観賞したと言われている)

 一方では日本を戦国時代から近世へと導いた武将、織田信長の手法に似ている、と批評する人もいる。

 いろいろ歴史上の人物が出てきたところで、古代ローマで実力を振るった武将ジュリアス・シーザー(イタリア語ではユリウス・カエサル)のことを思い出した。

 紀元前の古代ローマは共和制だった。ローマ国内の各地から有力者が元老院議員として選ばれており、ローマ市内に集まって合議し物事を決定していた。元老院制度である。

 しかしローマが拡大するにつれこの制度はうまく機能しなくなっていった。地方に中央の目が届かず、地方の有力者が自分勝手な行動をし私欲を肥やす。貧富の格差が生じ民衆が不満をもつ(スパルタカスの叛乱が有名)。それぞれ文化や価値観が違うので合議するのが大変で時間もかかる。要するに改革をしようとしても出来ない体質になってしまったのである。

 ガリア(現在のフランス)の戦場にいたシーザーはルビコン川を渡ってローマに攻め入り政敵ポンペイウスを倒す(彼がローマを攻める決断をしてルビコン川を渡るとき「さいは投げられた」と言ったのは有名)。

 その後彼は終身独裁官の地位を得る。つまり実質的な独裁権をもつ。そしていろんな改革を実践しようとする。

 しかし彼は改革半ばで元老院派のブルータスによって暗殺されてしまう(ブルータスに殺される直前「ブルータス、おまえもか」と言った言葉は有名)。

 そのあとシーザーの甥であるオクタビアスがシーザーの遺志を継ぎ初代ローマ皇帝になる。ここからローマ帝国が始まる。オクタビアスは皇帝としての強大な権限をもち、ローマに平和と安定をもたらす(オクタビアスが海戦でアントニオ・クレオパトラ連合軍を打ち破り、クレオパトラを自殺に追い込んだのは有名)。

彼の死後後継者難によりしばらくローマは混乱する。しかしそのあといわゆる五賢帝時代が始まり、ローマは強大な国になってゆくのである(五賢帝時代とはハドリアヌス、トラヤヌスなどのすぐれた皇帝が五代続いた時代を言う)。

 さて、いまや日本も首相の座を派閥の間でたらい回しするような談合政治の時代ではない。

小泉氏は特定の利益団体を代弁しているような面がない。割と清廉潔白で金銭の匂いがしない。派閥の領主でもないので過去のしがらみもない。自分の思いを遂げて行こうとする強い意志も感じられる。

彼のことを永田町のよき慣習を破壊する者だと言って非難する人がいる。しかし破壊するから悪だ、とはあながち言えないだろう。

インドのヒンズー教には無数の神様がいる。その中で民衆に最も人気があるのはシバ神である。シバ神は徹底的に破壊する神様である。「創造的破壊」という言葉がある。破壊すればその中から自ずと新しい秩序が生まれてくる、と言うことかも知れない。

 今後とも改革の路線は変わらないだろう。社会が変われば私たちはどうなるか。

 いまの政治は確かに面白い。しかし、面白がってばかりいないで今後の私たち自身の身の処し方についても真剣に考えてみる必要がある。

 
 

■ 名古屋が輝いている・・・2005.8月

 最近、名古屋を中心とした東海地方が活気づいている。
  今年になって名古屋空港が誕生し、さらに愛知万博が行われ全国的に注目を集めていることもある。

 しかし理由はそれだけではない。もっと大きな理由はこの地域が日本のものづくりの拠点として脚光を浴びつつあることにある。

 かって日本はものづくりの優秀性において世界のトップクラスにあり、ものづくりこそが日本企業のお家芸だと言われてきた。

 それが経済バブルの崩壊の頃から急に雲行きが怪しくなってきた。企業が優秀な技術を持った人たちをリストラし、正社員を減らす代わりにパートタイマーなどの臨時雇用を増やして人件費の節減をしようとし始めた頃からである。

全国の地場産業で優秀な技術者を抱えていた多くの中小企業が倒産した。その一方で大企業は技術をもたない臨時雇用者を短期間で戦力化するために業務をマニュアル化しシステム化した。

 その結果企業の業績は回復したものの、同時にものづくりの基本が次第におろそかになっていったようだ。

 三菱自動車の不良車両による事故が多発した事件は象徴的だ。三菱自動車だけではない。その他の多くの企業が事故を隠そうとしたり、公表すべきデータを改ざんしたりしていたことが発覚し、話題になった。最近ではJR西日本の鉄道事故の記憶が生々しいが、これも安全という品質をおろそかにした結果に他ならない。

 ところが名古屋の事情は違っていた。愛知県にはトヨタを頂点にして自動車関連の企業が多い。自動車は数多くの先端的な技術を集約して作られるものである。その技術のすそ野は広く、あらゆる産業の分野に関わりを持っている、と言っても過言ではない。トヨタ自動車が世界の先端を走ろうとすれば、それに合わせて周辺の企業も技術力を高め「ものづくり」に励まざるを得ないだろう。

トヨタはいち早く地球温暖化防止に対処したハイブリッド車を商品化し、世界市場に進出しようとしている。それを支えているのが名古屋周辺にある無数の関連中小企業なのである。

日本の景気はようやく底辺を脱し、上昇機運にあるという。その牽引役を担っているのが自動車産業を始めとする製造業である。

製造業が活気づけば残業や休日出勤が増え、やがて求人の需要が増え雇用が増える。そうすれば消費が増える。消費が増えればサービスなどの幅広い分野での需要が増え、全体的に景気は上昇する。

ところで富山県は地域的に見て中部経済圏にあり、名古屋方面の企業との結びつきが比較的強い。

富山県人は昔から質実剛健で辛抱強い県民性だと言われている。どちらかといえば地味で目立たないが県民性は真面目で仕事はきっちりやるという。言いかえれば「ものづくり」に適した県民性だ、と言える。

ところで愛知県人はどうか。愛知県人もどちらかといえば地味で保守的、排他的だと言われている。かって名古屋は東京圏と大阪圏の壁に挟まれた「偉大なる田舎」と言われてきた。しかし今後しばらくは日本経済の牽引役となりそうだ。

富山県の企業ももっと名古屋方面の企業との連携を模索し、北陸も含めた大経済圏を形成して行くべきではないかと思う。

ちなみに愛知、東海地方は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの英雄を産んだ地でもある

 
 

■ ベンチャーキャピタル・・・2005.7月

賑やかなニュースになったホリエモン騒動は日本国民にとっては随分と勉強になったようだ。これまで「いまの若者は以前の若者に比べて覇気がなく女々しくなっている」などと批判していた老人たちに大きな衝撃を与えた。特に森前総理大臣がまじめな顔で堀江氏を「礼儀を知らない若者」と切って捨てるように批判し、「これも戦後の教育がよくなかった結果だ」などと言っていたのが象徴的だ。
ところで最近IT関連の事業を始め、いろんな分野での若者の創業が活発になっている。十代二十代といった人たちが新しい事業を始めているのだ。

では、資金力のない若者たちがどうして事業を始めることができるのか。

その背景としてベンチャービジネスに対して投資をするベンチャーキャピタルが増加しているというのだ。ベンチャーキャピタルは銀行ではない。投資家である。将来有望だと思われる事業を見つけだし、株主として資金を提供する。そして将来その事業が発展し、株式市場に上場することになれば自分が持っている株式を市場へ売却し大きな利益をあげることができる。逆にその事業がうまくいかなければ投資した金は紙屑になってしまう。

ではそのベンチャーキャピタルはどんな企業に投資するのだろうか。そこには三つのポイントがあるという。

第一はその事業をめぐる業界が高い成長の可能性を持っていることだ。例えば今後五年以内に株式市場へ上場することを目指す場合には、業界の成長率が年率20%以上でなければならないそうだ。

第二はその事業が対外的にアピールできるセールスポイントを持っているか、と言うことである。他社との違いを鮮明に訴えることができるか、という点である。

第三は経営者の人間性である。例えば誠実で約束したことはきちんと守る、といった基本的なことも含まれる。

考えて見ればこの三点はこれから創業しようと考えている人のみならず、将来性のない本業に見切りをつけ、新しい方向を模索している企業にもすべからく当てはまるポイントだ。

第一のポイント、業界の発展力や将来性とは、言いかえれば時代が今後求めていくものを意味している。つまり時代のニーズに合っているかどうかだ。これは何よりも重要なことだ。どんなに経営者の人柄がよくても、またどんなに技術が優れていてもその業界が時代に合っていなければどうにもならない。

第二のポイント、アイデアと技術力、あるいは自己革新力、と言ってもいいかも知れない。自分の企業を時代に合わせて革新していく力である。

自分には何ができるのか、と自分の棚卸しをしてみることは重要である。しかし自分のできることだけを追いかけていても革新はできないだろう。時代のニーズを汲み取り、それに合わせて自分自身を革新していくことができるかどうかはもっと重要なのだ。

第三のポイント、経営者の人間性については当然のことだ。経営者は、自分の事業がなぜ社会の認知を得て存続しているのか、について常に自分自身の内面と素直に向き合い、じっくりと考えるべきである。企業はなぜ倒産するのか、企業はなぜ儲からないのか、それはその企業が社会的な存在意義を失ったからに他ならない。存在する意味がなくなった企業は市場から消えていく。それは自由主義、資本主義社会の鉄則である。

経営者は自分の狭い業界の事情にだけ詳しいのでは失格だ。より幅広い視野をもち、より高い視点から物事を正しく的確に判断する力をつけるように努力するべきだろう。自分の事業がどういう形で社会に役立っているのか、について自分なりに確信していることが必要だろう。

 
 

■ 「競争経済」から{共生経済」へ・・・2005.6月

いろんな面での国際化が進むに従い、「市場原理」という言葉が幅を利かせるようになった。企業は自由市場のなかで競争する。市場のニーズにあった企業は競争に勝ち残り、市場のニーズに合わない企業は敗北し市場から消え去る。究極的には市場の判断こそが正しいのだ、という思想である。
  市場のニーズに合わせて努力し、成果を上げた人はそれなりに優遇されなければならない、として所得の高い層の税率を低くもした。それによって国民全体のやる気を引き出し活力ある社会を実現しようとしたわけである。

だが、実際にはそのように進んでいるのだろうか。

実は大変憂慮すべき状況になっているのである。

現実には、勝ち組と負け組が色分けされ貧富の差が拡大している。日本社会は富裕層と貧困層の二極分化、つまり階層社会になりつつある。現在すでに日本の人口の4分の1が残りの4分の3の人口と同じ収入を得ている段階になった。ちなみに日本がモデルにしているアメリカでは上位1%の人たちが下位40%の総所得分を得ているという。それが本当に理想的な社会なのだろうか。

そのことは次なる問題を引き起こす。

第一は、少子化が進むという事である。社会が所得の高さで区分される階層社会になり、下層の人口が増えてゆけば子供を産もうとする所帯も減少してゆくだろう。上の階層の所帯だけが安心して子供を産むことができる、などという社会にはなって欲しくない。

第二は、下の階層の人口が増えるにつれ将来に希望がもてず絶望的な行動に走る人たちが出てこないか、と言うことである。犯罪の増加である。将来が不安なので結婚もできない、といった意見を言う若者も増えているようだ。

このような傾向に歯止めを掛けようと考える識者も出てきている。たとえば経済評論家の内橋克人氏は「競争経済」ではなく「共生経済」の社会を構築すべきだ、と主張している。

相手を攻撃して生き延びるのではなく、お互いに補完し助け合う関係で生き延びる、という発想である。

企業は単に利益を得るために存在するのではない。地域に密着し、働くことと暮らすことが同心円で重なり合っているのが望ましいのである。そこには地域の近所づきあいなどの人情味も残されている。

 その意味で地元の中小企業の役割は大きい。内橋氏は中小企業とは言わず、敢えて「日本型自営業」と呼んでいる。

地域社会を支えているのは日本型自営業であり、日本型自営業はまた地域社会に支えられている。これはまさに共生経済の原点なのである。

内橋氏は「競争セクター」と対立する「共生セクター」という概念について述べておられる。そして共生セクターとして目指すべきなのは「FEC自給圏」だ、としている。FECとはフーズ(食料)エネルギー(燃料)ケア(人々が支え合う関係、福祉)であり、この三つは人が生きてゆくためには欠かすことのできないものだ。この三つを自給できる地域づくりを目指す、住民や企業が一体になってそれを推し進める、そしてそれが行政を動かしてゆく、という流れをつくってゆく。

同氏は具体的な事例として滋賀県愛東町の「菜の花プロジェクト」(なたね油で燃料をつくる取り組み)などを紹介している。

 
 

■ なぜ歴史を学ぶのか・・・2005.5月

最近、中国と韓国が反日感情で揺れている。それにはいくつかの要因があるが、その根底に歴史認識があるという。
ところで歴史とは一体何か。私たちは何のために歴史を学ぶのだろうか。

歴史とは「過去にあった事実」である。しかし、過去にあった無数の事実を単純に並べたものでもない。無数の事実の中から重要と判断された一部の事実を人為的に体系化し、整理されたものが始めて歴史なのである。

事実のとらえ方も人それぞれである。例えば中国の南京で日本軍が中国人を虐殺した、とされる事件では、中国側は30万人が虐殺されたとしているが、日本の識者はそんな大量虐殺はあり得ないと反論している。

事実とは数学の答えのように一つなのではなく、歴史を編纂する人の価値観や認識度合いによって幾通りもある。結局、歴史とは何を歴史として認識するか、ということに他ならない。

 その価値基準は何か。それは、私たちが歴史を学ぶことによって日本民族の成り立ちや進歩発展を知り、日本民族のアイデンティティ(本質)に目覚め、民族としての自覚や誇りをもつことではないか。

世界中の国民はそれぞれに自分の国の歴史を学んでいる。それぞれの国は栄光と挫折を繰り返している。国民に誇りを持たせ将来への希望を抱かせるためにはそれなりの配慮がなされているのが通例だ。

暗いかげの部分はなるべく通り一遍でさらりと流し、強調すべき箇所については詳しく述べる。例えばアメリカは開拓時代アメリカインディアンを大量に殺戮した。スペインは大航海時代、キリスト教の布教の名目で中南米を征服し、インカ帝国やマヤ文明を滅ぼした。イギリスはインドを侵略し植民地化した。また、わがもの顔でカリブ海を横行し、本国公認の海賊行為を行った。

いま話題の中国はどうか。中国の教科書ではあの「天安門事件」が載っていないという。ベトナムへ侵攻したこともインドとの間で国境紛争があったことも載っていない。チベットやウイグル自治区で起きた暴動や独立運動も果たしてどう記載されているのだろうか。

清朝の末期、中国はイギリスからの侵略を受け阿片戦争が起きた。そして香港がイギリス領になった。その後フランスやドイツなど世界の列強が中国へ侵略を始めた。世界の大きな動きに危機感を強めた日本もその後それら列強の動きに合わせて行動を起こさざるを得なくなった。

日本を侵略者と非難するなら、イギリスやフランスなどに対しても大いに非難し謝罪を求めるべきだろう。彼らは日本よりも先に中国を侵略していたのだから。

どのような歴史を編纂し、国民に教育するかはそれぞれの国の問題である。日本の歴史認識を問題にするなら、自分たちの歴史も徹底的に検証して貰わなければ公正ではないだろう。

ところで近年日本社会の道徳観念が薄れ、凶悪な犯罪が増えるなど大きく変質している。これは戦後国民に対して日本民族としての誇りをもつような歴史教育を行ってこなかったからだと指摘する学者が多い。

誇りをもつのは戦前の軍国主義につながる、として敢えて誇りを持たせないように教える、などというおろかな学校の教師もいたようだ。

敗戦した国民だからと言って敢えて自虐的になり「自分を軽蔑せよ」「日本人は愚かで悪い国民だ」とするのは誤りだ。敗戦を味わった民族だからこそ、強い意気込みと愛国心が求められるのではないか。

 
 

■ 改革できない日本・・・2005.4月

今の社会の現状を誰もいいとは思わない。政治家はみんな異口同音に「改革」の必要性を述べる。しかしその内容はそれぞれ違っている。まずどの程度の改革が必要か、についてかなりの温度差がある。さらに変えるにはスピードが必要だ、というのと、ゆっくり改革しようというのがある。改革したい素振りをしているが実は心の底では改革したくない人たちがいる。自分の権益だけは守り抜き、その他を改革したい、とする身勝手な人もいる。

  だから初めは改革の趣旨を勢いよくどーんと花火のように打ち上げるが、そのうちに段々尻すぼみになってゆく。結局、議論はかみ合わず、総論賛成、各論反対となり、妥協の結果、当初の大きな目的は骨抜きとなり、問題は先送りされる。そのうちに妥協の産物のような法案では意味がないからいっそのこと廃案にするべきだ、と言い始める人まで出てくる。全く責任放棄だ。道路公団改革も郵政改革もそうである。

郵政改革について反対する議員は「国民の関心事は年金と経済だ。国民は郵政改革について必要性を感じていない。だから郵政改革はする必要がない」と平気でいう。しかし、国民の意識が低くても国策として必要なことはやらねばならないはずだ。そんな例はいくらでもある。要するに国民に改革の必要性を理解させる努力を怠っているのだ。それは怠慢以外の何者でもない。ある反対議員は「私には郵政改革をしなければならない必要性など全く理解できません」などとまじめな顔で言っている。よほど頭が悪いんだろう、と思ってしまう。

 かくして問題が解決されないまま月日は経ち、いつしか膨大な国債や地方債が国民の肩にかかってくる。そして増税が行われる。

 そんなことの繰り返しなのだが、日本国民は一般的に平然としている。国に対して抗議のデモ行進することもない。暴動も起きない。

デモ行進も暴動も起きない社会は一見平和そうに見えるが、裏を返せば気味の悪い社会でもある。北朝鮮やアラブの専制君主国にはデモ行進や暴動はない。

欧米の先進国では適度に市民による抗議のデモ行進や暴動が起き、国に要求を突きつけている。それによって民主主義が保たれている面がある。

日本では国に要望したいときは、地元の有力者を通じてこっそりと密室で行われる、ということだろうか。そして日本歯科医師会の例のように多額の政治献金が動くのだろうか。

戦後六十年も経つ。日本の民主主義もそろそろ大人にならねばならないのではないか。

もっと一般市民に開かれた民主主義でなければならない。

さて、近年の日本社会は明らかに変質している。少子化と高齢化、貧富の差の拡大、フリーターやニートと呼ばれる若者の増加、安易に行われる凶悪犯罪、親殺し、子殺し、犯罪検挙率の低下、自殺の増加などなど課題は山のようだ。

 フリーターが社会問題として議論されたあとで国がとった政策は、フリーターに対する所得税などの税金を厳格に取ることにしたことだった。それ以上「社会問題」として取り上げることはなかったようだ。

 今更ながら、ではあるが国の政策に期待してはいけない、と感じる。所詮この世の中は勝ち組にとって有利なようにしかできていない。結局、自分の道は自分で切り開くしかない。

 四月は入学や就職、人事異動など人生に新たな区切りが生じる月だ。まさに春爛漫、あらゆる命が燃えいずる季節でもある。

 日本の行く末、社会の行く末を案じながら、明日からの人生への夢を忘れず奮闘している各位に対し「幸あれかし」と心から声援したい。

 
 

■ 元気で活力ある日本になれるか!・・・2005.3月

最近、ライブドアの堀江貴文氏とフジテレビの間で火花が散っている。日本テレビの株式の取得をめぐっての駆け引きだ。
  報道を見ていると、古い体質の旧勢力と新しい若い勢力とのせめぎ合い、との印象を強くする。

 フジテレビの社長が記者会見の場で「放送は公共のものだ」とか「株主や従業員、社会の正義を守るために戦う」ような発言をし、おまけに政治家までが出てきて「放送システムは国民の財産だ。堀江氏のやり方はおかしい」などと言っているのを見ると、全く滑稽に見えてくる。建前論で正義を振りかざしても誰も信じない。まして国民が少しも信用していないような政治家が君子ぶったことを言っても、国民はかえって白けるばかりだろう。

 世論調査の結果では堀江氏を応援したい、との声の方が大きい。株式の持ち合いなど小むずかしい話は別にして、元気に頑張っている人には素直に応援したい、と思うのは極めて自然で健全な感覚だろう。

 今の世の中元気な人が少ない。事業を廃止する人は多いが新たに事業を起こそうとする人が少ない。給与は少なくてもいいから、安定していて食いはぐれのない仕事が望ましい、と考える人が多い。要するに仕事に対する夢がないのだ。リスクを負うのがいやなのだ。だから仕事以外の趣味の世界で満足感を得ようとする。一方で、自分のやりたいことが見つからないままに、中途半端な生き方をずるずると引きずっている人たちがいる。

 このままでは、社会は勝ち組と負け組の色分けが明らかになってゆき、貧富の差が広がってゆく。犯罪が多発し、不安定な住みにくい社会になる。そのうちに勝ち組の人たちは仲間だけで閉鎖的な社会をつくり、自分たちのガードを固めるようになるだろう。そして負け組の人たちは膨大な数の警察官の監視を受けながら、社会の底辺で生活することになる。現にアメリカでは富裕層の人たちだけで街をつくり、まわりを塀で囲み、自営の警察官に警備させている例が出ている。

 だが、そんな社会にはなって欲しくない。

 結局、意欲をもった若い人がどんどん頭角を表してこなければ日本の将来はないのだ。

 スポーツの世界を見ればいい。昨年はイチローや松井、オリンピックとスポーツに関する話題が多かった。国民の誰もが興奮し、充実感に浸り、選手を心から応援した。彼らの最大の功績は最近沈みがちの日本人に元気をもたらしてくれたことだろう。

経済の世界でも同じだ。日本を元気にしてくれる人がもっと出てこなければならない。そして成功した人たちを見習って事業を始める人が続かなければならない。

 堀江氏は、世界一の企業を作りたい、と述べている。まさしく野望である。そんな野望をみんなの前で率直に語ることのできる堀江氏がうらやましい。

成功するかしないかは神のみぞ知る、だ。将来はどうなるか分からない。失敗を恐れては何もできないではないか。

 今更ながら思い出す。明治時代、札幌農学校(現在の北海道大学)で教鞭を執っていたクラーク博士は、アメリカへ帰国するとき見送りの学生を前に「少年よ、大志を抱け」(Boys be ambitious)(直訳すれば、少年よ、野心的であれ)と言った。

 活力ある社会では、野心的である人を賞賛し応援する風土が必要だ。ましてや大きな夢を抱いて、行動を起こそうとしている人の足を引っ張ろうとするのはよくない。

 後から育ってくる次の人たちが夢と希望を持てるような社会の仕組みにしなければならない。スポーツの振興と同じだ。

政治家は姑息な意見を述べるより、大きな視野で国民を鼓舞してほしいものだ。

 
 

■ 「地方の時代」への序曲・・・2005.2月

最近、三位一体改革という言葉が目につく。
三位一体改革とは国が地方に「地方が自由に使える税源」を委譲し、その代わりに国が地方へ出していた「使途を特定する補助金」と地方交付金を減らすことで、この三つを同時に行い、地方分権を進めてゆこう、というものである。

 住民の意思や住民パワーを直接ぶつけ、行政に反映させることができるのは市町村などの地方自治体である。その意味で地方の分権化を進めることは民主主義を標榜する日本としては大変重要なことである。

 地方の分権化の必要性については随分以前から言われていたことだ。にもかかわらず実状は権限を放したがらない中央省庁の壁が厚くてほとんど進んでいない。

 ところが近年、国の財政が厳しくなってくると国の態度が変わり始めた。地方に財源を委譲するから地方への補助金や交付金を減らしたい、と言い始めたのだ。そして平成4年6月、政府は「05,06年度に補助金を3兆円程度廃止し、その代わり3兆円の税源を委譲する」と決めた。それに基づき政府は地方に対し補助金廃止案を取りまとめるように要請した。

地方6団体(全国知事会、全国市長会、全国町村会など)はこの要請を真摯に受け止め、幾多の内部対立を乗り越えて議論をかさねた。その間、省庁の関係機関からのいろんな妨害があった。アンケート、意見書、はがき、メールなどである。しかし地方はそれらの妨害に耐え、ついに補助金廃止案を取りまとめることに成功した。公共事業費や義務教育費などの削減が盛り込まれた。当然のことながら地方が自由に使うことのできる税源が委譲される、という前提のもとで案は作られたのである。

 この案は「地方の総意」として8月24日政府に提出された。

 ところが信じられないことが起きた。まず各大臣たちが一斉に反対を表明したのだ。

 それぞれの地方はそれぞれの異なる事情を抱えている。それをようやく克服して地方の総意をまとめ上げたのである。むしろ「よくやった」と賞賛すべきことではないか。

 各大臣は政府の閣僚だ。その政府の要請に基づいて提出された案に大臣は中央省庁の代表として反対しているのである。一体大臣の目はどっちに向いているのだろうか。

さらに問題を複雑にしたのは義務教育費への補助金の削減である。地方がまとめた義務教育費の削減案に対し、各方面から反対論が寄せられた。義務教育は国が責任をもって行うべきであり、従って義務教育については地方に任せるべきではない、という意見である。

しかし、地方の考え方は違っている。教育はそれぞれの地方で独自の創意工夫をこらしながらやればいい、というものである。これまで国が一律的に行ってきた教育方針は頻繁に変わり、その結果教育現場が混乱したりして、必ずしもうまくいってたとは思えない。大きな方針の決定は国が行うのはいいとしても、地方によって事情の違う教育現場の問題まで国が干渉する必要はない、というものである。

教育は「教育基本法」の表現をどうするか、といった抽象的な机上の議論では解決しない。大切なのは教育現場であり、家庭や地域社会の役割も含めた、極めて地域に密着した問題である。地方自治体が地域住民と意見交換しながらその時々の教育の問題を臨機応変に解決してゆく、というのは極めて自然で理想的なものに思えるのだ。

さて、この地方の案はどうなるのか。さらに国は地方に対してどんな税源を委譲するのか、答えはまだ出ていない。今後に注目したい。

いずれにせよ、これが「地方の時代」への序曲になるかも知れない。

 
 

■ 最重要課題「少子化対策」・・・2005.1月

 新年明けましておめでとうございます。
さて、わが国は今後内政、外交ともに厳しい局面に向かっているようです。

 その内政問題のなかで、極めて重要な課題の一つに「少子化対策」があります。それを取り上げてみます。

少子化対策という場合、いくつかのポイントがあります。

 第一は、今後少子高齢化社会になるので、それに見合った社会システムにして行くべきだ、という論点である。ここでは、将来少子高齢化社会になることは避けられない、とし、高齢者もできる限り現役で社会活動をするようにしようとする。

第二は、少子化社会になること自体をなんとか阻止しようとするものである。そのためには子供を生みやすく、かつ育てやすくする対策を行おうとする。

第三は、海外からの移民を積極的に受け入れてはどうか、というものである。しかし、これには課題も多く、反対する意見も多い。

ここでは、第二の少子化を阻止する対策にしぼって考えてみたい。

子供を含め若い世代が多い社会は活力があるし、賑やかで楽しい。彼らには長い将来があり、夢もある。年金の財源である年金保険料を負担してくれる担い手でもある。若者が得意なIT技術を伴った先端的な文化が広がり、IT関連の消費が増える。

 今後、北朝鮮問題や台湾問題など、国際間の緊張が高まり、軍備の増強が必要になってくることも予想されるが、それを担うのはやはり若い自衛隊だろう。また、国内の治安は悪化の一途を辿っているが、それを阻止できるのは正義感をもった若い現場の警察官たちだ。新規の事業を開業する人が少ない、という問題も、夢をもった若い人が増えれば解消するだろう。創造的な経営ができるのはやはり若い力なのだ。

などと考えれば、結局子供が増えることが重要なのである。

ではどうすればいいのだろうか。そのヒントを総務省が調べた都道府県別のデータから考えてみたい。

 一般的に、働く女性が増えたため出生率が下がった、と考えられている。ところがこの調査によると、逆に女性の働く比率が高い地域で案外子供が多く産まれていることが分かった。例えば、鳥取県や山形県である。これらの地域では、祖父母との三世代同居が多く、祖父母らが子供の面倒を見るケースが多いのだ。

 さらに近所のつきあいも大切な要因のようである。地域のなかの連携が強い、つまり近所づきあいの多い地域も出世率が高いのだ。山梨県や茨城県などがそうである。

また、女性が結婚する年齢の低い地域で出生率が高い。福島県、鳥取県、岩手県などである。

ここで子供が増えている町を紹介しておこう。

まずは静岡県長泉町。この町に住む女性が生涯に産む子供の数はこの5年間に1.62から1.72へと上がった。長泉町では乳幼児の医療費を無料にしている。6才までは入院、通院ともに自己負担ゼロだ。所得制限もない。もう一つの政策は、保育園の待機児童を出さないことだ。さらに保育園には「子育て支援センター」が併設されており、若い母親たちの交流と相談の場にしている。その他、淡路島にある五色町もそうだ。

ある県知事は、女性が一人目の子供を産んだ後、二人目も産もうと思うような施策が必要だと述べている。

 どうか自治体の皆さん、子育て支援に力を入れて下さい。

 そして、老人は選挙の票に結びつくが子供は票に結びつかない、などと愚かしいことを思わないで下さい。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 
 

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